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【岁殿至上】木曾八景(歳三和歌解析翻译)

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一楼十娘。


1楼2010-10-31 22:01回复
    鼓起勇气终于挑战了歳三之和歌——木曾八景。
    图文原作 星田桂先生
    自翻,不才,切谅。


    2楼2010-10-31 22:02
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      山寺は外ともわかず程远きふもとに响く入り相の钟
      「木曽八景   第一回   徳音晩钟」
      ■徳音寺は、仁安3年(1168)に源义仲が、母小枝御前を吊うために建立した一族の菩提寺である。
      境内左手には义仲の木像を纳めた霊屋があり、その横は、义仲の墓を中心に右に小枝御前、左に巴御前の墓碑が并んでいる。
      この寺の暮れ六つの钟の音が、山村に响き渡る様が荘厳であるという。徳音寺の钟の音が、寺の中と外も関系なく、远いふもとまで响いて夕暮れを告げているのだ。
      この歌の元になったと思える歌が、歳三の时代よりもややさかのぼった文政年间(1820ごろ)に活跃した木曽代官山村家のおかかえ絵师の池井佑川父子の版画に添えられている。
      远近ハ闻も   さためぬ山风の           さそふままなる   入相のかね
      晩钟が山风の吹くにまかせるように、远くにも近くにも响いている。行方を定めることなく漂う钟の音は、同じように先の见えない时代を暗示するかのように闻こえただろうか。
      新选组の最期を知っている我々には、非业の最期をとげた木曽义仲の伝说とあいまって、夕暮れ时の物悲しさにとどまらない、切なさが感じられる。
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
      德音寺外山 远近尚未分 响彻遍山麓 钟音宣黄昏
      德音寺是仁安三年(1168)武将源义仲于菩提寺为逝去的母亲小枝御前祈福而修建的同族的寺院。
      寺院境内左边是设有义仲木像的祠堂,旁边以义仲的墓为中心,右边是母亲小枝御前的墓碑,左边和其并列的是侧室巴御前的墓碑。
      黄昏时分,六声钟鸣起,庄严的钟音响彻山村。
      德音寺的钟音不分寺内寺外,直至远方的山麓宣告着黄昏的到来。
      想起这句短歌的起源,得从歳三所处的时代稍微溯前到文政年间(1820年)。活跃于木曾代理管木村家、受雇于画师的池井佑川父子在版画上这样描绘着:
      远近皆闻山之风
         钟音袅袅如相随
      晚钟随着山风任意吹着,远远近近皆可听闻。而向着已定方向飘去的钟音,是否和先前所暗示的时代相近呢。
      对于知悉新选组末日的我们来说,再结合传说中木曾义仲的死于非命,黄昏时分的悲凉怎么都止不住,感觉到十分的伤怀。


      4楼2010-10-31 22:09
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        岚布くゆふべの云の绝まよりみた気の雪そ空にさむけき
        「木曽八景   第二回   御岳暮雪」
        ■木曽御岳山は古い时代から「霊山」としての信仰を集めた山だった。周辺の山のあちらこちらに御岳山の「遥拝碑」があるという。旅人たちは畏敬の念を持って御岳山の姿を眺めていたのだろう。
        「暮雪」とは俳句の季语でみると「冬」である。冬の夕暮れに见る雪景色のことを「ぼせつ」というのだが、「御岳山の暮雪」といった场合は、初夏の薄紫の山肌に消え残る雪のことでもあるらしい。この场合は「くれゆき」と発音されることもあるようだ。
        歳三の咏んだ歌は初夏の残雪というよりも、悪天候のどんよりとした重い云间から、わずかにのぞいた御岳山のことを表现しているようだ。季节も初夏というよりむしろ冬に近いものを感じる。
        垂れ込めた岚の云は、ある意味歳三たちの旅の心の重さでもあるかのようだ。道场としては无名の试卫馆一派の彼等を评価する者はまだいない。彼等を支えているのは「武士となって国のために一身を捧げる」という梦と夸りだった。
        その远い梦が御岳山の雪の白さと一瞬交错する。空は寒く、世间の风も冷たい、でも必ず还り来る春を信じて歩いていくしかなかった。
        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
        疾风吹尽晚 流云间隙散 似雪未消融 凛空夜生寒
        木曾御岳山自古代以来就被奉为灵山汇集了众多的信仰。周围的山彼方此方(立了御岳山的“遥拝碑”的山比比皆是。旅人们大约都持着敬畏的想念眺望着御岳山的姿态的吧。
        “暮雪”在俳句里是“冬”的季语。
        冬日夕辉下乍看的山景就是一派雪之景象,而御岳山的情况,就像是初夏时节、淡紫色的山峦消融未尽残留的一点儿雪似的。
        这种情形就被称之为“暮雪”。
        歳三所咏的短歌相对于初夏的残雪,也同样展现了在阴沉昏暗的恶劣天气下、重重云间,御岳山难得的另一番景态。
        只不过与其说是初夏时节,倒还是寒冬将至的感觉更贴切些。
        直然缭落山的云气、或许意指着和歳三一行旅途的心情一般的沉重的样子。
        虽在道场但在试术馆一派还默默无闻,对于他们评价的人海都没有。所支持着他们的只是以“成为武士为国献身”为梦想而自豪着。
        那般遥远的梦境和御岳山的白雪在一瞬交错。
        空气薄寒、世风亦冷,然而怀着春日必返定有来日的信念挺步向前。


        5楼2010-10-31 22:10
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          闲利末く罗 弥さめのとこの山岚もあめになりゆく 夜半のさみしさ
          「木曽八景   第四回   寝覚夜雨」  
          ■中山道の上松と须原の间に「寝覚めの床」という景胜地がある。白い花岗岩の岩肌が木曽川の流れによって浸食され、屏风岩、亀岩、乌帽子岩などといった呼称を持った个性豊かな奇岩の群れが出来上がっている。
          この地が「寝覚め」と呼ばれるようなったのは、意外なことに「浦岛太郎伝说」からなのだ。
          竜宫城から帰った浦岛太郎は、孤独を抱えて日本各地をさまよったあげく、この土地の风景の美しさに魅かれて住み着いたらしい。
          この世とはかけ离れたような绝景の中にいて、ふと竜宫に暮らした日々のことを思い出してしまったのだろうか、寂しさに耐えかねてついに禁断の玉手箱を开けて「300歳の老人」になってしまった。その时「これまでのことは梦であったか」とつぶやいたことから、「寝覚め」と呼ばれるようになったという。
          立ち并ぶ岩々は表面が平らに削られて、ちょうど床を敷き并べたようにも见えるので、「寝覚めの床」という名前になっていったのだろう。
          歳三もきっと、この山深い木曽の地に残る不思议な浦岛伝说を胸に描きつつ、「夜半のさみしさ」という言叶を置いたのかもしれない。
          旅枕に闻く雨の音は、通り过ぎたことばかりを思い出させるのに一役买ったことだろう。浦岛太郎でなくても、あの日に帰れたら、と思うことはあるに违いないのだから。
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          罗衣宿山道 觉醒听夜雨 骤然渗透衣 夜半徒生寂
          中山道的上松和须原之间有着“梦醒之床”的景观胜地,白色花岗岩的岩层表面因着曾木河流侵蚀程度的不同,常常有屏风岩、龟岩、帽子岩等极具个性称呼的的奇形怪状的岩石群聚而出。
          这块地之所以被称作“睡醒”,说起来还是很意外地来自童话《浦岛太郎传奇》——
          从龙宫归来的浦岛太郎孤独地在日本各地徘徊着,因着着土地上美丽风景的魅力所吸引而住了下来。
          在这仿若与世隔绝的绝景中住着,太郎忽然就想起了在龙宫住的日子,难不住寂寞打开了严禁打开的玉匣,立刻就变成了300歳的老人。那个时候太郎就是咕哝着“这大概是个梦吧”,因而那块地就被称为“梦醒”。
          后来排列的岩层表面被削平了,看着就恰如铺好的床褥一般,大约就是这样有了“梦醒之床”的名字吧。
          歳三一定也是在这深山之地、在心中描绘着流传下的不可思议的浦岛传奇,而作下“夜半孤寂”这样的言语的吧。
          路途间听着雨的渗透声,歳三只独自想起了过去的回忆吧。虽然自己不是浦岛太郎,若有来日归来的话,也难免不会有这样的想法吧。


          7楼2010-10-31 22:20
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            明わた流ひかりもみえ亭风越の高根はれ游くよるのうき久毛
            「木曽八景   第五回   风越晴岚」  
            ■「晴岚(せいらん)」とは、本来は晴れた日に山に立ち上ってくる霞のことらしい。また、一说には晴れた日に山を吹き越していく风が、草木を揺らしてそれが青い岚のように见える様子ともいわれている。
            木曽の风越山(かざこしやま)は、木曽驹ヶ岳のふもとにあって、木曽马の牧草地としての役目があったという。风越山はその名前の通り风の通り抜ける场所だった。一面の草原を海原と见纷うほどに风が揺らしていったことだろう。
            风越山に朝の光が差してきて、夜を取り残したような云もしだいに晴れていく…そんな光景を歳三は目にしたのだろうか、それとも自分の中だけの风景として思い浮かべたのだろうか。
            浪士队の移动は、険しい山道であっても一日に40キロメートル前后とかなり强行军であった。木曽路で宿をとったのは奈良井と须原の二ヶ所だけである。この旅の途上で、歳三が実际に木曽八景を目にすることがあったかどうかは、正直微妙なところだろう。
            それでも俳句や和歌をたしなむ者としては、「木曽八景」を咏まずしてどうするのだ、といった気持だったのだろうか。いちずで负けず嫌いな歳三の一面が、こういうところにも出るのかもしれない。
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            霞明光流转 风月亭可见 峰顶行将逝 薄云淡飘浮
            “晴岚”原本指的是晴日里直立于山岚上的云霞。
            然而,还有一说是晴日里吹过山峦的风、草木摇曳见着像是正经历着一场青色风雨的样子。
            木曾的风越山在木曾驹岳的山麓、作为木曾马匹的牧草地发挥着作用。风越山正如其名、是个通风顺畅的场所。在风的摇曳下、满目看去的一片草原几乎要看错成海洋了吧。
            风越山在晨光的映射下,夜间残留的云也渐次晴明起来......那样的情境中歳三俯瞰着、沉浸在只属于自己所想念的风景之中么。浪士队的移动即使是在险峻的的山道也保持着每日四十公里左右(的速度),是颇为快速的强行军了。
            因而木曾一行路上只在奈良井和须原两处下榻过夜。
            这趟行旅的途中,歳三实际上却是关注着木曾八景,实在是微妙的时刻吧。即便是作为俳句与和歌的通晓之人,大概也要为怎样去咏赞“木曾八景”、是怎样的心情(而思量)了吧。一味厌弃屈服的歳三、此时也会有说出幸福的时刻也说不定。


            8楼2010-10-31 22:24
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              こまのたけはるる夕日にみる雪の飞かりもさむく 満かふしらくも
              「木曽八景   第六回   驹岳夕照」
              ■「驹ヶ岳」は、山の形そのものや、その山にある一年を通じて溶けることの无い雪の形が驹、すなわち马に似ているところから、そう名づけられるという。
              日本各地に「驹ヶ岳」の名前を持つ山があるので、その土地の名前を冠して「虾夷驹ヶ岳」とか「甲斐驹ヶ岳」などと呼ばれている。この歳三の歌で咏まれているのは「木曽驹ヶ岳」である。
              3000メートルにわずかに足りないというその顶に连なる峰々が、夕日を浴びて辉いている。
              深みを増した空の青色とのコントラストも美しく、万年雪が「白云と见间违えてしまいそうなほどに」照り映えているという。
              はるかな山の顶に残る雪を见て「光がさむいよ」とか、「白云とまちがえそうだよ」という感想を漏らすのは、いかにも「雪」とか「白いもの」が大好きな「豊玉先生」らしいといえよう。
              ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
              驹岳全景瞰 夕阳缕缕斜 雪飞寒渐随 满目尽凉白
              “驹岳”是取自山的形状,那样在一年当中积雪融化后无雪的山的形状像是驹、也就是像马的形状,那名字就是这么得来的。
              日本各地虽有很多山都以“驹岳”而命名,在那之前都会把当地的地名放在前面,比如说“虾夷驹岳”、“甲斐驹之岳”等。
              而这里歳三所咏赞的是“木曾驹岳”。
              人类很难踏足上3000米那样高度的山顶,而那连绵的山峰却能沐浴在夕阳的光辉下。
              暮色越是深和天空对比的对比度就越美,常年积雪也映照着“白云与见差异甚无”的样子。
              遥望着山顶的残雪,不禁生出“光源清冷”、“白云无异”的感想,可以说是一直以来对“雪”和“纯白之物”大为喜爱的“丰玉先生”所特有的(情感)呢。


              9楼2010-10-31 22:27
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                志ろたえにみ类ひとすじは手都くりのそれとまがふをのの泷つせ
                「木曽八景   第七回   小野瀑布」
                ■「白妙(しろたえ)」というのは、コウゾという植物の皮の繊维で作られた白い布のことである。
                …春过ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香具山…という持统天皇の歌でも有名である。
                滝のことを「瀑布(ばくふ)」と呼ぶのも、それが高いところから垂らした白い布のようであるからだ。
                小野の滝は、上松宿と须原宿の间、「寝覚めの床」に程近い场所にあって、木曽路の旅人が咽喉の渇きを愈し、ひと时の安らぎを得る场所だったという。
                歳三たちもしばし足を止め、滝の水を求めて近づいていったかもしれない。そして目にした滝の姿は歳三好みの情趣に満ちていたようである。
                滝を流れ落ちる水の描く细やかな筋が、あたかも白い布を手作りしているかのように见えるというのだ。
                「しろたえにみるひとすじ」の音の响きがとても绮丽だと思う。まったく歳三という人は、「白いもの」を咏ませたら右に出るものはいない、と言い过ぎたくもなる(笑)
                ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
                水瀑独倾泻 遥看似白练 疑是手中织 宛若轻栗战
                所谓的“白布”,是从一种叫葡蟠的植物皮表提取的纤维而制成的白色的布。
                正如持统天皇一阕有名的短歌,“春随往风逝,夏日继复来,白布制衣干,日之香具山。”
                称之为急流抑或“瀑布”,那是(水流)从高处倾垂而下犹如白练的缘故。
                小野瀑布位于下榻过的上松与须原两地之间,距离“梦醒之床”不太远的地方,木曾路上的旅人能在干渴得以缓解的同时,享受独处时的安乐平静。
                歳三一行也暂时驻足、想要靠近瀑布之清水。
                然后歳三凝望着瀑布的姿态,心底满是对此喜爱的情趣。
                “瀑水独倾泻”的脆音响动认为是非常清丽的。果然歳三这个人,要论起“纯白之物”的咏赞大约无人能出其右,这么说大概不为过吧。(笑)


                10楼2010-10-31 22:31
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                  注:
                  关于第一回「徳音晩钟」——武将义仲出生的时代,正是源氏势力旁落,平氏独揽朝中大权的时代。从在木曾举兵,到成功上洛,直至最终死在近江粟津。
                  详见资料http://tieba.baidu.com/f?kz=238978053
                  ——仁安3年(1168)、木曽义仲が母小枝御前を葬っ
                  


                  12楼2010-10-31 22:48
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                    ——义仲の墓を中心に、右侧に母小枝御前と左侧に巴御前


                    13楼2010-10-31 22:48
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                      关于第四回「寝覚夜雨」——日本民间故事《浦岛太郎传奇》全译文如下
                          很久很久以前,有一个叫浦岛太郎的渔夫。一天,他来到海边发现一群孩子在折磨一只乌龟。浦岛太郎拿出钱买下这只乌龟并把它放回了大海。
                      一次,当浦岛太郎出海打鱼时,听到有个声音在喊“浦岛太郎、浦岛太郎”。仔细一看,原来是一只乌龟从海里探出头在喊自己。
                           “我就是前些日子您搭救的那只乌龟!为了报答您的救命之恩,我带您去龙宫吧!”
                      于是,浦岛太郎很高兴地骑到乌龟背上跟它去了。
                           龙宫在海底,是一座梦幻般美丽的城堡。到达龙宫后,美丽的龙女出门迎接,并对浦岛太郎感谢地说:“谢谢您搭救了老龟,请在龙宫里尽情地游玩吧!”然后带他到处观看。
                           此后,浦岛太郎在龙宫过着梦一般开心的生活:每天享受着无尽的美味、观看着鱼儿优美的舞姿。日子过得很快,不知不觉三年过去了。“啊,不知家里的父母现在怎样了?”浦岛太郎想起了父母,于是决定回家看看。
                           龙女知道后忧心忡忡地递给了浦岛太郎一个盒子,并对他说:“这是一个玉匣。你千万不要打开,否则我们就无法再相见了。切记切记!”
                           浦岛太郎回到了家乡后,发现那里全变样了,而且一个认识的人也没有。太郎在龙宫呆了三年,而人世间却已过了三百年。
                      浦岛太郎禁不住打开了玉匣,匣中冒出滚滚白烟,不一会儿他就变成了一个满头白发的老人。
                      


                      14楼2010-10-31 22:50
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                        这么好的帖子怎么能不顶呢。。
                        轩,和歌的翻译好棒啊。字数工整有很有意境。


                        IP属地:浙江15楼2010-11-01 23:15
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                          莫~我想得脑袋都痛了......尽量字数和情景相对......
                          星田桂 先生真的很有想象力~我越来越喜欢他了


                          16楼2010-11-01 23:32
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                            原来轩酱是文艺派么
                            


                            17楼2010-11-02 11:04
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                              vivi
                              文艺派......这个我还真的不知道呢~
                              只是关于歳三的人与事,都止不住地去想知道......


                              18楼2010-11-02 13:16
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