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【论文转帖】ZARD坂井泉水の歌词における表现特性

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提出日:平成26年1月31日
平成25年度 卒业论文
ZARD坂井泉水の歌词における表现特性


大阪教育大学 教育学部 学校教育教员养成课程
国语教育専攻 小学校コース
国语表现ゼミナール 102127 平山 刚
指导教官 野浪 正隆先生
目次
序章  研究动机・目的
第一章  研究にあたって
第一节  研究対象
第一项  ZARDについて
第二项  坂井泉水について
第三项  対象楽曲について
第四项  ZARDが活跃した时代と评価
第二节  研究について
第一项  歌词における品词分析について
第二项  歌词における语汇分析について
第三项  歌词における构成分析について
第四项  歌词における特别な読みについて
第三节  分析のねらいと予想される结论
第二章  作品の分析结果
第一节  各分析について
第一项  歌词における品词分析の结果
第二项  歌词における语汇分析の结果
第三项  歌词における构成分析の结果
第四项  歌词における特别な読みについて
第二节  分析结果についての考察
第三章  まとめと今后の课题
第一节  まとめ
第二节  今后の课题
第四章  终わりに资料编
~序章 研究动机・目的~ 
私は日常のどこかで、歌というものに必ず接している。お気に入りの歌ばかりを集めたウォークマンを聴く时间、一人の时に好きな歌を口ずさむ时间、友达とカラオケに行って大声で歌を歌う时间。私の日常に歌というものは必要不可欠なのだ。その歌の中で、特に大切なもの、私の心を掴んで离さないものがZARDの「歌」だった。
 私が初めてZARDの歌と出逢ったのは、小学生の时だった。しかし、小学生だった私はZARDという歌手を全く知らず、ZARDの歌だからではなく、ただ単に当时から好きだったアニメの主题歌集のCDであるという理由で、ZARDの一曲の歌が入ったCDを购入した。そのCDを聴いているうちに、十数曲の様々なアーティストの歌が入っているにも関わらず、次第と私はZARDの『明日を梦见て』という歌ばかりを聴くようになっていることに気付いた。
それから私は、ZARDのCDを集めるようになり、ZARDのファンになった。彼女の歌に私が魅かれるのには必ず理由があるはずである。それが何かと考えた时、「歌词」なのではないかと思ったのである。彼女の书く诗には、心打つものがあった。まるで今の私のことを歌っているのではないかと思えるほどの临场感や、顽张らなくてはと思わせてくれる力が彼女の言叶にはあるように思えて仕方ないのである。それは他のアーティストの歌を聴いている时には感じない感覚であった。
 残念ながら、彼女はもう歌を歌うことはない。しかし彼女の死から约6年の月日が流れようとしてもなお、彼女が遗した数多くの歌は多くの人から支持を受けている。そして、彼女の死后に多くの场面で取り上げられ、评価されているのが、やはり彼女が书いた前向きな歌词なのである。
今までは聴くだけだった彼女の歌词を、メディアが取り上げるような前向きな一面からだけではなく、様々な侧面から研究してみたい。彼女が歌词に込めた思い、聴く人に伝えたかった思いを、私なりに彼女の言叶と向き合って形にしたいと思い、この研究をするに至った。


IP属地:湖北本楼含有高级字体1楼2015-01-29 19:45回复
    ~第二章 作品の分析结果~ 
    第一节  各分析について
    第一项 歌词における品词分析の结果
    第一章第二节第一项で示した、品词分析の方法に基づいて品词を集计した结果を以下に示す。なお、ここで扱う品词は「名词」、「动词」、「形容词」、「形容动词」、「副词」、「感动词」とする。

    上记に示した表からは、「名词」の使用割合が最も多いことが分かる。约50%の割合を占めていることが特徴として挙げられる。
    次に、各品词において使用割合が最も高かったものと最も低かったものを示す。なお、「名词」と「动词」以外の品词は最低値をとる作品が复数曲あったため、「名词」と「动词」のみ示すこととする。


    最低値をとる作品素直に言えなくてあなたを好きだけど复数存在复数存在复数存在复数存在  それぞれの品词において、「名词」と「动词」において最高値と最低値をとった作品の特徴については后に示すこととする。
    次に、「体言」と「用言」に分けた使用割合についても以下に示す。なお、ここでの「体言」は「名词」、「用言」は「动词」、「形容词」、「形容动词」のことを指すものとする。

    上记の表からは、「体言」と「用言」の使用割合が拮抗しているものの、「体言」の使用割合が「用言」の使用割合をやや上回っていることが分かる。また、全152曲の中から、「体言」が多いものを「体言型」、「用言」が多いものを「用言型」としたとき、「体言型」が109曲、「用言型」が38曲、「拮抗型」が5曲となった。
    (ⅰ)各品词别の使用割合について
     先述した各品词别の使用総数が最も高かったものについてみていく。
    (a)「名词」について
     まず、「名词」の使用割合が最も高かった『来年の夏も』についてみていく。以下に、『来年の夏も』の歌词と品词别の使用状况を示すこととする。

    『来年の夏も』
    同じ血液型同士って
    うまくいかないと
    いうけど私达例外ね 今も
    2年前の気持ちと 変わらない
    恋の予感は 土曜日の映画馆
    勇気を出してよかった…
    来年の夏も となりにいるのが
    どうか あなたでありますように
    知り合う前の私は
    “强い女”の看板 背负ってた
    あなたの爱のレッスンで
    弱い自分も好きになれたの
    ラベンダーの匂いに 心ときめく
    昨日よりもっと 爱しい
    来年の夏も となりにいるのが
    どうか 私でありますように
    时间旅行をしているみたいに
    景色だけが変わってゆく
    来年の夏の 二人の记念日
    出会った场所でお祝いしましょう
    これからもずっと となりにいるのが
    どうか あなたでありますように
    『来年の夏も』における名词の使用割合は、65.9%であった。
    次に、「名词」の使用割合が最も低かった『素直に言えなくて』についてみていく。以下に、『素直に言えなくて』の歌词と品词别の使用状况を示すこととする。

    『素直に言えなくて』
    星降る夜は いつも Lonely-night
    溜め息で 霞んでる
    冷たい ベッドは 少し
    広すぎて 眠れない
    やさしすぎるから つらくなってゆく
    このまま ずっと 気付かないふりで
    笑颜に変えたいの
    “ひとりにしないでね”って 素直に 言えなくて
    腕を组んで 歩いた Rainy-night
    あたたかさに 酔って
    梦を 见ていたいから
    うしろは 振り向かない
    楽しかったけど つらくなってゆく
    これからは 强くなるからきっと
    涙は见せないわ
    “ひとりにしないでね”って 素直に 言えなくて
    やさしすぎるから つらくなってゆく
    このまま ずっと 気付かないふりで
    笑颜に変えたいの
    “ひとりにしないでね”って 素直に 言えなくて
    『素直に言えなくて』における名词の使用割合は、31.1%であった。
    まず、名词の使用割合が最も高かった『来年の夏も』についてであるが、歌词の中に名词を细かく配置することによって、情景や状况を思い浮かべさせやすくなっている。名词の使用総数36に対して、用言(动词、形容词、形容动词)の使用総数は23であり、视点人物(自分自身)の行动や心理を直接的に表すものは少なくなっている。また、助词の「の」に着目をすると、歌词内において太字で示したように12あり、名词を并列して繋げる(2年前の気持ちやラベンダーの匂いなど)ことで、名词の使用割合が伸びていると考えられる。また、「恋の予感は 土曜日の映画馆」のように体言止めをし、动词を用いないこと歌词があることも名词の使用割合が高くなっている要因であると考えられる。名词の种类としては、使用されている数が1のものが25种类もあり、先に述べたような助词も活用しつつ、几つかの名词を织り交ぜて作品がつくりあげられていることが分かる。
     次に、名词の使用割合が最も低かった『素直に言えなくて』についてであるが、名词の使用総数は12であり、用言(动词、形容词、形容动词)の使用総数37と比べると半分以下になっている。视点人物(自分自身)の行动や心理を直接的に表しているといえる。また、助词の「の」に着目をすると、名词同士を并列させたり、繋げたりさせるものは一切なく、『来年の夏も』とは真反対の结果になっている。体言止めのような个所もなく、ほぼ动词で1行の最后が结ばれている。名词としては、使用されている総数自体が『12』と、『来年の夏も』の3分の1になっている。『素直に言えなくて』は、名词を细かく繋いでいくのではなく、动词などの用言を用いて、视点人物(自分自身)の心理や行动を中心に作品をつくりあげているといえる。
    (b)「动词」について
     次に、「动词」の使用割合が最も高かった『抱きしめていて』についてみていく。以下に、『抱きしめていて』の歌词と品词别の使用状况について示すこととする。

    『抱きしめていて』
    気持ちが强すぎて
    分离(はな)れていると こんなに大切に思えるのに
    近づくとまるで磁石のように 二人 反発しあうよ
    スリルがあふれる町では决してなかったけれど...
    抱きしめていて 冻えそうな手で
    求め合うほどに 伤つけ合ったね
    抱きしめていて この身を横たえ
    そして Ah 夜が明ける
    私は嘘をついていました
    あなたにも 私自身にも
    みんな毎日が楽しくないと不安になってゆくから
    突然飞び込む景色に Spotlight
    二人时间(とき)を刻んだ
    抱きしめていて
    壊れそうな瞳(め)で 飞び立つときを 待っていたんだね
    抱きしめていて 舞い落ちる刹那が
    音も无く Ah 去ってゆくのね
    生きることに疲れはて 涙ぐんでしまう时も
    あなたが笑ってくれたね
    抱きしめていて
    壊れそうな瞳(め)で 飞び立つ时を 待っていたんだね
    抱きしめていて I will lay me down Holy night
    そして ああ 夜が明ける
    抱きしめていて…
    あなたを想って心は痛む
    抱きしめていて…
    音も无く Ah 去ってゆくのね
    そして Ah 夜が明ける
    『抱きしめていて』における动词の使用割合は、52.1%であった。
      次に、动词の使用割合が最も低かった『あなたを好きだけど』についてみていく。以下に、『あなたを好きだけど』の歌词と品词别の使用状况について示すものとする。

    『あなたを好きだけど』
    眠そうな新闻记事で
    いつも 朝が始まる
    となりにいる彼は年下
    ニクメない笑颜が トレードマーク
    ものわかりのイイ女
    でも本当は私 すごく心配性なの
    あなたを好きだけど… 时々つらいの
    その若さ眩しすぎるから
    あなたが好きだけど… 悲しくなるの
    たまには甘えさせて
    あなたは调子外れの
    歌をうたい 着変える
    髪型だって 変わらない私
    同じ気持ちでいるのに
    もしも年上の男性(ひと)が现れたら
    揺れてしまいそう やさしさに
    あなたを好きだけど… 时々つらいの
    あまりに正直すぎるから
    あなたが好きだけど… 少しコワイの
    言叶にすればフェイドアウト
    あなたを好きだけど… 时々つらいの
    あまりに正直すぎるから
    あなたが好きだけど… 少しコワイの
    言叶にすればフェイドアウト
    『あなたを好きだけど』における动词の使用割合は、20.2%であった。
     まず、动词の使用割合が最も高かった『抱きしめしていて』についてであるが、タイトルの中に「抱きしめる」という言叶があり、动词の使用割合が高くなっている。「抱きしめる」は作品の中で8回も缲り返されている。动词の种类としては、26种类の动词が使われており、使用数が1の动词が20种类となっている。また、动词だけでなく、用言(动词、形容词、形容动词)の使用総数も46であり、体言の使用総数22を大きく上回っている。视点人物(自分自身)の行动や心理の様子を表そうとしているため、动词や用言の使用割合が高くなっていると考えられる。
     また、动词の使用総数が最も低かった『あなたを好きだけど』についてであるが、用言の使用総数は33であり、体言の使用総数は20である。动词だけの使用総数も15と决して体言と极端に数が违うわけではない。しかし、使用数が1の动词は11であり、『抱きしめていて』のやく半分になっている。また、この作品では、「形容词」と「形容动词」の使用割合が高くなっており、用言を用いて视点人物(自分自身)の心理描写を行っていると考えられる。タイトルに入っている「好き」という形容动词が6回も作品の中で缲り返されていることが大きく関系している。
     それぞれの作品で、名词と动词の使用数はそれほどの违いがないものの、体言と用言の総数で考えたときに、动词の使用割合に差が出たと考えられる。


    IP属地:湖北通过百度相册上传5楼2015-01-29 20:26
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      (ⅱ)「体言型」と「用言型」について
       次に、「体言型」と「用言型」についてZARDの全152曲の倾向を示す。なお、ここでの体言は名词、用言は动词、形容词、形容动词を指すこととする。
      〈用现型〉38作品

      〈体言型〉109作品


      〈拮抗型〉体言と用言の使用割合の差が1.0%未満のもの 5作品

      これらの结果から、ZARDの作品は「体言型」に分类される作品が「用言型」に分类される作品を大きく上回っていることが分かる。また、それぞれの分类の中から体言と用言の使用割合が1.0%未満のものを「拮抗型」と分类した。
       次に、これらの作品の中から特徴的なものを取り上げる。特徴的なものとは、「用言型」の中から最も用言と体言の使用割合の差が大きいもの、つまり最も用言の使用割合が高いものと、「体言型」の中から最も体言と用言の使用割合の差が大きいもの、つまり最も体言の使用割合が高いもの、「拮抗型」の3つとする。
      〈用言型〉の中で、用言の使用割合が最も高い作品

      〈体言型〉の中で、体言の使用割合が最も高い作品

      これらの结果は、先述した「名词」と「动词」の使用割合の结果からある程度予想することができる。『素直に言えなくて』は名词の使用割合が最も低い作品であるため、用言の使用割合が最も高くなっており、『来年の夏も』は名词の使用割合が最も高い作品であるため、体言の使用割合が最も高い作品になっている。
      〈拮抗型〉について
       先に「拮抗型」として挙げた5曲の中から、『心を开いて』を取り上げ、みていくこととする。以下に、『心を开いて』の歌词と使用状况を示すこととする。

      『心を开いて』
      私はあなたが想ってる様な人では
      ないかもしれない
      でも不思议なんだけど
      あなたの声を闻いてると
      とても 优しい気持ちになるのよ
      このままずっと 忘れたくない
      现実(いま)が想い出に変わっても
      言叶はないけど きっとあなたも
      同じ気持ちでいるよね
      人と深くつきあうこと
      私もそんなに得意じゃなかった
      でも あなたを见ていると
      私と似ていて もどかしい
      そういう所が たまらなく好きなの
      ビルの隙间に二人座って
      道行く人を ただ眺めていた
      时间(とき)が过ぎるのが 悲しくて
      あなたの肩に寄りそった
      My dream Your smile
      忘れようとすればする程 好きになる
      それが误解や错覚でも…
      心を开いて
      どんなときも あなたの胸に
      迷わず飞び込んでゆくわ
      Your dream I believe
      ときめいてる 心を开いて
       『心を开いて』においては、これまで见てきた観点が几つか合わさってみられる。まず、助词の「の」についてであるが、歌词内において太字で示したように3个所みられる。体言止めのような个所は见られない。名词、动词はもちろんのこと、形容词なども用いて、视点人物の心理や行动を描写すると共に、情景を浮かべやすくしていると考えられる。


      IP属地:湖北通过百度相册上传6楼2015-01-29 20:43
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        第二项  歌词における语汇分析について
         今回の研究対象であるZARD全152曲の中で、どのような语句の使用频度が高いのかを调べる。「KH Coder」というソフトを用いて、使用频度が高い上位150语を以下に示す。
        ZARD全152曲 出现回数上位150语

        上记の表からは、「今」と「心」という上位2つの语句の出现回数が100回を超えていることが分かる。このZARD全152曲の出现回数上位150语の中から、上位10语まで(上记の表において太字で示した语句)について、调べた结果を以下に示す。なお、上位10语については、名词が6、动词が3、形容动词が1となった。
        (1)「今」について
         ZARDの歌词において、最も使用频度が高い「今」についてみていく。以下に、歌词と时间轴、「今」何をしているのか、どのような行动や心理描写と一绪に用いられているのかを示す。

        上记の表は、心理描写・行动の栏に従って整理してある。时间轴とは「今」という言叶を扱うにあたって、「今」现在をさしているのか、过去からの时间の流れも含めて、「今」という时间をさしているのかを示したものである。时间轴についてであるが、「过去からの繋がり」については、过去の様子を振り返りつつ、その过去の出来事と「今」を结び付けている时间轴である。また、「现在」については、现时点を指しているものである。「过去からの繋がり」に分类したものが36、「现在」に分类したものが63となった。
         心理描写・行动の栏については、共に用いられている动词や形容词など「今」という言叶の対象となっている人物の様子を表したものを抜き出したものである。この结果によると、「いる」や「ある」といった存在を确かめる动词や、「欲しい」や「懐かしい」など、「今」という言叶の対象となる人物の心理が大きくかかわってきていることが分かる。
        (2)「心」について
         次に、ZARDの歌词において2番目に使用総数が高かった「心」についてみていく。以下に、歌词とどのような心理描写と共に用いられているのかを示す。


        「心」については、29种类の心理描写の分类とした。その中で最も多いものは、「不安」の心理描写であった。「心」という人の気持ちに寄り添う必要がある言叶について、30种类近くの多种多様な心理描写を用い、「心」の様子について表そうとしていることが分かる。その中で、主に恋爱に関する「不安」な心理描写を行い、「心」の持ち主について连想できるようにし、寄り添うことが容易にできるようにしていると考えられる。
        (3)「梦」について
         次に、「梦」という言叶についてみていく。以下に、歌词と描写・行动について示す。

        「梦」という言叶については、どのような「梦」なのかについて「梦」を修饰している言叶について取り上げることとした。一般的に「梦」という言叶と共に用いられると考えられる「见る」という言叶が最も「梦」という言叶と共に用いられていることが分かる。また、特徴的な歌词として、「赘沢は梦を食べてしまう」という歌词がある。ZARDの歌词において、异彩を放ち、「梦」という言叶を独特の観点から捉えている歌词であると考えられる。「梦」というものを自分が目指すべきものとして捉えているものの、その「梦」へ向かう歩みを止めてしまい、「赘沢」をしてしまうことを戒めている様子を読み取ることができる。


        IP属地:湖北7楼2015-01-29 21:07
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          (4)「爱」について
           次に、「爱」についてみていく。以下に、歌词とどのような「爱」について描かれているのかを示す。

          上记の表から、「爱」という言叶は、多种多様な言叶と共に用いられていることが分かる。「爱」の様子を描くためにこれだけの言叶を共に用いていることから、「爱」を様々な角度から捉えていたことを推测することができる。「爱」という言叶を一面的に捉えるのではなく、歌词において视点人物(自分自身)が「爱」の形をどのように捉え、感じているのかを细かく描写し、心理描写を巧みに表しているといえる。
          (5)「人」について
           次に、「人」についてみていく。以下に、歌词とどのような様子と共に用いられていたかを示す。

           上记の表から、「人」という言叶については「状况」と「心理」の様子と共に用いられていることが多いことが分かる。その他にも、「回顾」、「后悔」、「不安」、「メッセージ」の分类をおこなった。どのような「人」なのかとどのような状况にいる「人」なのかの様子が分かるようになっている。
          (6)「忘れる」について
           次に、「忘れる」についてみていく。以下に、歌词と「忘れる」の対象、そして「忘れる」の形を示す。

          上记の表は、形の栏に従って整理してある。上记の表から、「忘れる」という言叶は、视点人物(自分自身)の心理によって形が変わり、自分自身に向けて言う様子や対象人物に向けて言う様子になっていることが分かる。また、「忘れる」という言叶の対象については、対象人物や三角関系の相手のことが目立つが、心理的なもの(気持ちなど)も対象となっている。
          (7)「见る」について
          次に、「见る」についてみていく。以下に、歌词と「见る」の対象、そして「见る」の形を示す。

          上记の表は、対象の栏に従って整理してある。上记の表から、「见る」という言叶についても视点人物(自分自身)の心理などによって形を変えていることが分かる。対象については、対象人物のことはもちろん、「梦」、対象人物との思い出に関するものなどが挙がっていることが分かる。
          (8)「好き」について
          次に、「好き」についてみていく。以下に、歌词と「好き」の様子、そして「好き」の対象を示す。

           上记の表は、「様子」の栏に従って整理してある。上记の表から、「好き」という言叶については、その対象が対象人物となることがほとんどであることが分かる。なお、歌词の部分に対象人物についての记述がないものについては、他の歌词の部分から分かったものである。また、対象人物以外の対象として、「独り」でいることとが挙げられている。これは、视点人物(自分自身)の心理描写であり、対象人物と一绪にいることができない様子も読み取ることができる。
          (9)「変わる」について
           次に、「変わる」についてみていく。以下に、歌词と「変わる」の対象と形を示す。

          上记の表は、形の栏に従って整理してある。上记の表から、「変わる」という言叶についても、视点人物(自分自身)の心理によって形が変わっていることが分かる。また、対象については视点人物(自分自身)の周りの様子や心理描写に即したものが共に描かれていることが分かるようになっている。
          (10)「自分」について
           次に、「自分」についてみていく。以下に、歌词とどのような様子かを示す。

          上记の表から、「自分」という言叶はその心理描写と共に用いられることが目立つことが分かる。また、「自分」がどのような状况に置かれているのかを読み取ることもできるようになっている。「自分」は视点人物(自分自身)のことであることから、必然的な结果であるといえる。


          IP属地:湖北8楼2015-01-29 21:22
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            第三项  歌词における构成分析について
            以下に、歌词の内容を一行ごとに「状况」、「行动」、「谈话」、「心理」に分类した结果を示す。以下に示した「心理型」とは、心理に分类された割合が4つの项目の中で最も高くなったものであり、「状况型」、「行动型」も同様に「状况」、「行动」の割合がそれぞれ最も高くなったものである。「状况心理型」は、「状况」と「心理」の割合が拮抗しているものである。1作品ごとの详细は资料编として添付する。

            上记の结果からは、ZARDの作品において、叙述内容は「心理型」に分类される作品が全体の7割を超えていることが分かる。「行动型」などの分类は非常に稀有な例であることが分かる。
            また、作品において使用されている时间语の総数と特别な読みの総数、1作品ごとの平均使用个数を以下に示す。

            时间语についての详细を以下に示す。

             时间语を抽出した先の表によると、太字で示した言叶だけで全体の约53%を占めていることが分かる。また、イタリックで示した言叶については具体的な时间を直接的に示しているものではないが、歌词内で时间の様子を読み取ることができる语である。また、「今」という言叶は使用総数が100を超えており、现在の様子を表していることが多いことが分かる。太字で示した言叶の中では、「今」と「今日」が现在を表す语であり、「明日」と「未来」は现在から先のことを表す语である。また、「夏」や「夜」といった言叶はある一点の时间の様子を表した语である。时间语はこの现在を表す言叶、现在から先の言叶を表す言叶、ある一点を表す言叶、また现在から前の言叶を表す言叶、直接的に时间を表しているわけではないものの歌词内で时间を表しているものに分けることができることが分かった。
            では、「心理型」、「状况型」、「状况心理型」、「行动型」の中からそれぞれ1作品ずつ取り上げ、分析していくこととする。以下に、分类详细を示すこととする。
            1、「心理型」

             上记の歌词は、『天使のような笑颜で』という作品のものである。この作品では、「心理」の描写に全ての歌词を分类するものとした。たとえば、11の「昨日今日があわただしくて」という歌词は、「状况」と分类してもいいように感じられる。しかし、この作品においては、「あわただしい」と感じている视点人物(自分自身)の心理の様子に寄り添うものとした。この作品では、一贯して「彼女」に恋をしているが不安な気持ちを抱えている视点人物(自分自身)の心理描写がなされている。「彼女」のことが好きで、「彼女」への気持ちには嘘はないものの、「彼女」の本当の気持ちがなかなか见えず、心のどこかで「彼女」の「天使のような笑颜」を素直に受け取ることができない様子を読み取ることができる。
            2、「状况型」

            上记の歌词は、『目覚めた朝は』という作品のものである。この作品では、「状况」と「心理」の分类状况が拮抗しており、このような作品を「状况心理型」と分类することとした。「状况」の分类はやはり、他の分类と重なっていることが度々みられる。先述した「心理型」と「状况型」の间に位置しているような形になっていると考えられる。この作品では、暴言などによって「君」との距离が开いてしまった「仆」の心理描写や、「君」と「仆」を取り巻く状况を描いている。
            3、状况心理型(「状况」と「心理」が拮抗)
            上记の歌词は、『目覚めた朝は』という作品のものである。この作品では、「状况」と「心理」の分类状况が拮抗しており、このような作品を「状况心理型」と分类することとした。「状况」の分类はやはり、他の分类と重なっていることが度々みられる。先述した「心理型」と「状况型」の间に位置しているような形になっていると考えられる。この作品では、暴言などによって「君」との距离が开いてしまった「仆」の心理描写や、「君」と「仆」を取り巻く状况を描いている。
            4、行动型

            上记の歌词は、『LOVE~眠れずに君の横颜ずっと见ていた~』という作品のものである。この作品では、「行动」に分类される歌词の割合が多くなっている。视点人物(自分自身)や対象人物の「行动」を中心に、作品世界を描いているといえる。この作品では、过去の様子を振り返りながらも、「君」とこれからも歩んで行こうとする心理を読み取ることができる。


            IP属地:湖北通过百度相册上传9楼2015-01-29 21:43
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              次に、歌词の全体についてみていく。歌词の构成分析を进めていく中で、几つかの倾向がみえてきた。ZARDの歌词のイメージとして、「前向き」や「応援」などがよく挙げられるが、决してそのイメージにそぐう歌词ばかりではないことがみえてきたのである。そもそも何故、ZARDの歌词のイメージとしてそのようなものが挙げられるようになったのであろうか。その大きな理由として、「负けないで」という曲の大ヒットがあると考えられる。ZARD自身の最大売り上げとなった「负けないで」は、多くの场面で取り上げられ、今は応援歌の定番として定着している。ZARDという歌手の代名词といっても过言ではない。そういった曲のイメージが、ZARDという歌手をあまり知らないが、「负けないで」という曲だけは知っているという人たちと结びつき、ZARDという歌手のイメージをつくりあげていると考えられる。
               そのことを踏まえつつ、ZARDの曲全体においての倾向をみていく。全作品の倾向は资料编として添付し、以下では各分类型において1つの作品を取り上げることとする。
              1、応援型
               ここでは言叶を用いて、谁かを励ましていると考えられる歌词を「応援型」と称して分类していく。上记に示したように、ZARDのイメージとなっている「负けないで」のような谁かを励ましていると考えられる歌词も、もちろん存在している。この応援型に分类をしたものは、対象楽曲全152曲のうち、14曲であった。この14曲を応援対象别に2つに分けることとした。
               (ⅰ)视点人物(自分自身)への応援
               応援型の中でも、応援対象が视点人物(自分自身)へ向けられたものをここでは分类していく。この分类に当てはまるものは14曲中9曲であった。以下にその内の1曲を示す。
              (图缺)
              この歌词は『Listen to me』という作品のものである。全部で6连の构成となっており、そのうちリフレインが2连というものである。まず、下线(A)の部分をみていく。下线(A)は、视点人物が「辛い」と感じた朝の様子を描写し、それに伴っての心理を表现している歌词である。この作品には、视点人物并びに対象人物の呼び方などの表记はないものの、下线(A)の「乙女心」という言叶から视点人物は女性であることが推察できる。视点人物が普段なら日常の行动として行えるはずのことも、その心理によっては、无感动に终わらすことはできない。少しずつマイナスのイメージと结び付くようになり、最终的には自身の梦や恋にまで结び付けてしまっている。下线(A)、つまり曲の最初に视点人物の心理がマイナスに向かっていることを印象付けることで、后の歌词への伏线となり、またこの作品の分类型である、视点人物(自分自身)への応援の伏线にもなっていると考えられる。
               次に太字(B)の部分をみていく。太字(B)はこの作品の中では1つ目のサビの部分にあたり、下线(A)の内容を受けて、日常の朝の様子を「辛い」と感じている视点人物(自分自身)を励まし、鼓舞しているものになっている。「巨大なビルの迷路」という表现は、视点人物が日常を过ごしている社会の様子であると考えられる。そして、视点人物が线を引いてしまっていた日常のキャパシティーを越えなければならないと、下线(A)部分のマイナス部分をプラスに変えていこうと自分自身に言い闻かせている。太字(B)の部分は下线(A)を受けることで、応援としての意味合いが更に强まると考えられる。この太字(B)において、この作品が视点人物(自分自身)を応援している作品であると分かる部分として、「巨大なビルの迷路」を「怖くない」と思っている人物、日常のキャパシティーを感じ、その枠を取り払おうとしている人物の描写が挙げられる。これらの描写の対象人物として、他者を取り上げていると考えるのはやや难しい。下线(A)の部分も含めてであるが、他者の存在をあまり感じ取ることができない。视点人物(自分自身)の心理や状况が中心となって、言叶が纺がれていることが分かる。よって、他者に向けての応援の意味を込めていると考えるより、心理的に「辛い」と感じている视点人物(自分自身)に向けての応援の意味が込められているのではないかという推察ができる部分になっていると考えられる。  下线(C)は、下线(A)と同じように、この歌词において2つ目のメロディーになっている。下线(C)においては、「かしましい」という言叶からも分かるように女性同士の会话から视点人物(自分自身)の心理を表现している。また、时间も徐々に変化しており、「tea time」という言叶から时间轴の様子が分かる。しかし、この下线(C)では全てがマイナスの心理というわけではない。最后の三行では少しずつ前向きに进もうとしている様子を描写している。
               太字(D)は、太字(B)と同じように、この歌词において2つ目のサビになっている。「ダークグレーの空」という表现は视点人物(自分自身)の心理を例えたものであり、その暗い色を涂り替えようとしている视点人物(自分自身)が徐々に前向きになっていることが分かるものになっている。また、「毎朝が新しいページの始まり」という表现から、「辛い」と感じることもあった朝を、前向きにとらえ进んでいこうと考えている视点人物(自分自身)の心理を読み取ることができる。  以上のように、この作品は视点人物(自分自身)の心理に寄り添いながら、マイナスの心理を伏线としてメロディー部分に表现し、それを受けてサビ部分で视点人物(自分自身)への応援の意味合いを际立たせていると考えられる。
              この视点人物(自分自身)への応援に分类される作品の特徴としては、视点人物(自分自身)の心理に寄り添うことが歌词の中心になっており、他者の存在を感じさせる表现に乏しい。また、単に视点人物(自分自身)を応援したり、鼓舞したりする言叶を散りばめているだけではなく、敢えてマイナス面の心理描写や状况描写をすることによって、効果的に応援の意味合いを表现していると考えられる。
              (ⅱ)他者への応援
               次に、応援型の中でも応援対象が他者へ向けられているものを分类していく。この分类に当てはまるものは全14曲中5曲となった。以下にその内の1曲を示す。
              (图缺)
              この歌词は先述もした「负けないで」の歌词である。全部で6连の构成となっており、そのうちリフレインが2连というものである。まず、下线(A)の部分をみていく。下线(A)では、视点人物(自分自身)が他者に语りかけているような表现がみられる。この作品では、「あなた」に向けてのメッセージである。この部分から、视点人物(自分自身)である「私」と「あなた」との関系性をある程度推察することができる。「恋した」という表现や、「あの日のように 辉いてる」といった表现などから、「私」と「あなた」は恋爱関系にあったのではないかと考えられる。しかし、二人の関系性が今も続いているとは考えにくいのではないだろうか。「覚えているでしょ」と确かめている表现や「あの日」などの表现から、「私」は「あなた」との过去を振り返りつつ、距离が开いてしまったあなたに対して、エールを送ろうとしていることから、そのことが分かる。
               次に太字(B)の部分をみていく。太字(B)はこの作品では1つ目のサビにあたり、はっきりと「あなた」にエールを送っている部分である。そしてはっきりと「私」と「あなた」との间にある距离を感じられる部分でもある。「どんなに离れてても」という表现からそのことが分かる。太字(B)の特徴として、「あなた」に向けて语りかけている文末の表现が重なっていることが挙げられる。また、前向きな言叶を散りばめ、「あなた」との距离が开いているにも関わらず、强くエールを送っている表现がなされていることも挙げられる。
               下线(C)は、下线(A)と同じように、この歌词において2つ目のメロディーとなっている。やはり「あなた」に対してメッセージを送っている部分であり、それと并んで视点人物(自分自身)の心理が「好き」という言叶を用いて表现している部分でもある。「あなた」との関系が完全に终わってしまい、何も思っていないのならば、「あなた」にメッセージを送ることはない。この下线(C)は下线(A)と伴って、「私」が「あなた」のことをまだ思っている様子を描写し、「あなた」にエールを送ることが自然な流れである印象付けの役割を担っているのではないだろうか。
               太字(D)は、太字(B)と同じように、この歌词において2つ目のサビとなっている。この2つの连において共通している个所として、「どんなに离れてても 心はそばにいるわ」という歌词が挙げられる。先述した「私」は「あなた」のことをまだ思っているということを踏まえ、それでもやはり2人の距离は元に戻ることはなく、远いところからエールだけをし続ける様子に繋げようとしていると考えられる。また、これら2つのサビの末尾の表现などから、「私」が女性であることも読み取れる。  以上のように、この「负けないで」という作品は、先述したようにZARDの代表曲であり、ZARDのイメージを作り上げている曲である。他者である「あなた」を语りかけ、応援している歌词であるが、「私」と「あなた」の関系性には恋爱関系があったことが分かるものにもなっている。「あなた」への応援までの流れまでを効果的に繋げていると考えられる。
               この他者への応援に分类される作品の特徴としては、歌词の中で他者(『负けないで』では「あなた」)の存在をはっきりと描写し、その他者に语りかけるような表现が连なっていることが挙げられる。また、他者への応援が不自然な形になったり、突然のものになったりしないようにするため、视点人物(自分自身)と他者の関系性をある程度歌词内で表现し、応援やエールの姿をより自然な形にしていることも考えられる。
              応援型に分类をした(ⅰ)と(ⅱ)において、共通していることは応援をしている相手やエールを送っている対象をある程度明确にしている点である。その対象によって、言叶の内容や歌词のもつ意味が変わってきているものの、応援することが自然なものとして受け入れられるように歌词の连をしっかり结び付けていることが分かった。また、(ⅰ)と(ⅱ)の相违点を挙げるとすると、他者への応援を歌词の意味合いとして表现している作品は、『负けないで』を例にとると、「~でしょ」や「~いるわ」などの相手に语りかけるような表现を频繁に用い、相手の存在を感じさせる构成がみられる。一方で、视点人物(自分自身)への応援を歌词の意味合いとして表现している作品は、谁かに语りかけるような表现に乏しく、反対に、『Listen to me』を例に挙げると、「くり出そう」や「越えなくちゃネ」など、视点人物(自分自身)に向かって言い闻かせるような表现がみられることが挙げられることが分かった。


              IP属地:湖北10楼2015-01-29 22:12
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                2、友情型
                 次に、歌词の中で「友情」について表现しようと感じられたものを「友情型」と称して分类していく。この友情型に分类したものは、全152曲中1曲であった。以下にその例を示す。
                (图缺)
                この歌词は、『Teenage dream』という作品のものである。全部で5连の构成になっており、下线(A)と(C)はメロディー、太字(B)と(D)と(E)はサビとなっている。まず、下线(A)の部分をみていく。下线(A)は、视点人物(自分自身)が昔の様子を振り返っていることを読み取ることができる。「都会に行っても」という言叶から、都会に行く前の様子、「校舎」という言叶から学生时代のことを思い出していることも想像することできる。また、「级友(あいつ)」という言叶や「君」という言叶から、この作品においての対象人物は2人であることが分かり、3人の関系についてを描いていることも分かる。しかし、下线(A)の最后の部分において、「もうあいつの事で 泣くなよ」と表现していり、この歌词は「君」に向けてのメッセージを缀ったものである。これらのことから、下线(A)より、都会に行く前の3人の绊が、都会に行ってしまってから変わってしまったことが推察できないだろうか。また、「あいつ」にメッセージを送っていないことから、「あいつ」に何か変化があったことも推察できるのではないだろうか。3人の友情の形であった「约束」が壊れかけていることを描写していると考えられるのである。
                 次に太字(B)をみていく。太字(B)は、この作品では1つ目のサビにあたり、「君」に向けて语りかけている部分である。都会にやってきて、失ったものや忘れそうになっていたものを取り返したいという思いを表现し、あの顷に戻ろうとしている様子が分かる。昔语った梦や、その时の思いを取り戻し、「あいつ」のために心を砕いている君を心配している视点人物(自分自身)を描写している。
                 次に下线(C)をみていく。下线(C)は下线(A)と同じく2つ目のメロディーとなっている。视点人物(自分自身)が、「あいつ」のことを「イイ奴」と表现し、「君」のことを支えようとしている様子が分かる。都会に来て、谛めかけていたことも、不器用になっていたことも、逃げようとしないで、自分なりにやってみようと背中を押しているようにも考えられる。
                 次に太字(D)をみていく。太字(D)はこの作品の2つ目のサビにあたる。视点人物(自分自身)と「君」の関系性として、「かけがえのない君」という表现がある。3人は友达の関系にあったが、视点人物(自分自身)は「君」のことをどこか特别な存在としてとらえており、また「君」は「あいつ」のことを同じように特别な存在でとらえていたのではないだろうか。友情の中にも、淡い恋心のようなものが混ざり、どうにか3人の関系性を友达のままにしておきたかったという视点人物(自分自身)の気持ちもうかがい知ることができる。また后半の2行は、都会に来る前の思いを描写し、崩れかけている3人の関系性を修复しようとしていると考えられる。  次に太字(E)をみていく。太字(E)はこの作品の3つ目のサビにあたる。3人の周りがどれだけ変化していっても、校舎で梦を语り合い、都会に行くことを考えていたころの思いだけは大切にしようと再确认をしている。また、3人の関系性は揺るがないものであり、都会でしっかりと自分の梦を见つけるまで顽张ろうという思いが、最后の1行から読み取ることができる。
                 この作品では、3人の関系性にやや恋爱の要素が混ざっていると考えられる。しかし、恋爱型と分类するには恋爱の描写があまり见られず、むしろその思いを断ち切って3人の関系性を元通りにしようとしている様子をみることができる。また、「都会」という言叶が1つのキーポイントになっており、「都会」と「故郷」にいるそれぞれの3人は少し违う様相をもっており、「都会」では梦や大切なものを见失いかけていることが描写されている。「故郷」は3人が梦を语り、友情を深めた场所でもあるので、特别な存在であることが分かるようになっている。
                 友情型の特徴としては、恋爱的な要素が混ざっていたとしてもそれは歌词の主たる意味合いではなく、あくまで补助的な意味合いとして表现されること。そして、友情の関系性を崩そうとする何か(この作品では「都会」)と共に描写することによって、友情や绊の固さというものを际立たせようとしていることなどが挙げられると考える。


                IP属地:湖北11楼2015-01-29 22:12
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                  3、恋爱型
                   次に、歌词の中で恋爱のことについて表现しようとしている作品を「恋爱型」と称して分类していく。この恋爱型に分类したものは、全151曲中131曲とその割合が最も多いものとなっている。その中で、更に7の分类项目に従って分类することとした。以下に、分类の详细と曲数を示す。

                  上记に示した7の详细分类に従い、恋爱型に分类した歌词を分析していく。
                  (ⅰ)回顾
                  まず、视点人物(自分自身)が过去の恋爱を振り返ることが中心となっている歌词を取り上げ、分析をしていく。以下にその例を示す。
                  (图缺)
                  この歌词は、『爱しい人よ~名もなき旅人よ~』という作品のものである。全部で9连の构成になっており、下线(B)、(C)、(E)、(F)、(G)はメロディー、太字(A)、(D)、(H)、(I)はサビである。まず、下线(A)についてであるが、この部分は2行のサビとなっており、他のサビとはやや异なる形をとっている。対象人物を「爱しい人」、「名もなき旅人」とたとえており、语りかけるような语调で缀られている。また、この部分では他のサビ部分とは异なり、「爱しい人よ 名もなき旅人よ」という顺序で言叶が并べられている。タイトル通りに表现されている个所はこの部分だけであり、先述したように2行のサビで作品の冒头に位置していることから、下线(A)は聴く人を一気に作品の中へ引き込む役割を担っていると考えられる。
                   次に太字(B)をみていく。太字(B)は、この作品において1つ目のメロディーとなっており、5行の构成になっている。「遥か昔」や「出てきた」などの表现から、视点人物(自分自身)が过去を振り返っている様子を表现していることが分かる。この部分と対比的な内容を表现している个所が下线(C)の部分である。下线(C)は2つ目のメロディーであるが、3行の构成になっている。内容としては、下线(B)で振り返った「あの顷」を「今」と比べながら、时间の経过や心の変化の様子を描写している。时间は経过しているにも関わらず、心はそれに逆らっていると视点人物(自分自身)は思っていることが分かる。
                   次に、太字(D)の部分をみていく。太字(D)はこの作品において2つ目のサビとなっており、太字(A)とは异なり、4行の构成になっている。この部分では、また视点人物(自分自身)から対象人物への语りかけのような表现がみられ、「子供のままの人」という新たな言叶を用いて対象人物を表现しようとしている。また、「戻らない」、「譲らない」、「明日」という表现などから、サビでは过去を振り返りつつも、前向きに行こうという思いを読み取ることができる。
                   次に、下线(E)をみていく。下线(E)は3つ目のメロディーとなっており、3行の构成になっている。下线(E)に出てくる「长者ヶ崎」とは神奈川県の実际の地名で、ZARDの作品の中でもあまり出てくることのない固有名词である。二人の思い出の様子を、「夕阳」や「交差点」などの情景と共に描写することによって、その美しさを际立たせていると考えられる。
                   次に、下线(F)をみていく。下线(F)は4つ目のメロディーとなっており、2行の构成になっている。下线(F)においては视点人物(自分自身)がはっきりと対象人物に気持ちを寻ねているのが分かる。また、「背伸びして ずっとついて来たから…」という表现から、下线(E)と共に过去を振り返っていることが分かる。  次に、下线(G)をみていく。下线(G)は5つ目のメロディーとなっており、4行の构成になっている。下线(G)は、下线(E)と下线(F)の内容と対比的なものになっており、「今」という言叶で过去と现在との违いを表现している。また、「あの夏は远くなるけど」から时间の経过、「あの约束は忘れない」という言叶から、过去を振り返りながら守らなければならないものがあることを确かめている。
                   次に、下线(H)、(I)を并行してみていく。下线(H)と(I)は3つ目と4つ目のサビとなっており、それぞれ4行の构成になっている。下线(H)と(I)で异なる部分は、「壊れた心を ほどいてあげたいよ」と「壊れた心を そっとほどいてあげたいな」の部分である。やはり、视点人物(自分自身)から対象人物に语りかけていると考えられる。対象人物に思いを伝え、支えとなりたいという思いが分かり、これまで过去を振り返っていた视点人物(自分自身)が前を向いて行こうとしている様子がやはり分かるようになっている。
                   恋爱型の中でも「回顾」に详细分类されるものの特徴として、过去を振り返る视点人物(自分自身)と现在を生き、未来をみている视点人物が対比的に描かれていることが挙げられる。ただ単に过去の恋爱や二人の様子を振り返っているだけでは、歌词の中に世界が広がっていかないので、过去を振り返りつつ、その过去を现在の自分たちの恋爱の様子にどう繋げていくかを表现する必要があるのだと考えられる。
                  (ⅱ)语りかけ
                   次に、视点人物(自分自身)が対象人物に语りかけている描写が中心になっている歌词を取り上げ、分析していく。以下にその例を示す。
                  (图缺)
                  この歌词は、『Boy』という作品のものである。全部で5连の构成になっており、下线(A)、(C)はメロディー、太字(B)、(D)、(E)はサビである。まず、下线(A)についてであるが、视点人物は「今」という时间に存在しながら、対象人物である「Boy」=「あなた」に语りかけている。最初の2行で过去の2人のことを「あなた」に确かめており、后半の2行で今の状况を告げている。また、「忘れないで」の内容はここには书かれておらず、太字(B)に繋がっていることが分かる。この部分から昔と今の様子が异なり、距离が开いているのではないかということが推察できる。
                   次に、太字(B)をみていく。太字(B)では、下线(A)において「忘れないで」と语りかけた内容が表现されている。2人の関系は时间の経过と共に変化してしまったけれど、爱は変わらないということがこれにあたると考えられる。しかし、视点人物(自分自身)がそう思っているにも関わらず、口に出すことができない心理も同じ部分で表现している。
                   次に、下线(C)をみていく。下线(C)は2行の构成になっている。やはり、対象人物に语りかけていると考えられる。対象人物が都会で顽张っている様子が、「soldier」=「兵士」にたとえられていることから読み取ることができ、视点人物(自分自身)が対象人物に语りかける背景が分かるようになっている。
                   次に、太字(D)、(E)をみていく。太字(D)は、「あなた」への思いを缀り、语りかけている部分である。视点人物(自分自身)の心理を中心に、「あなた」の傍にいて、支えになりたいという思いを语りかけている。太字(E)は、太字(D)とほぼ同じであり、最后の「Love is always on your side forever」という部分だけが异なっている。视点人物(自分自身)は傍にいることができないけれど、あなたへの思いや爱だけは永远に傍にいることを伝えようとしていることが分かる。
                   恋爱型の中でも、「语りかけ」に详细分类されるものの特徴として、视点人物(自分自身)の心理を中心として、対象人物に语りかけている内容が続くことが挙げられる。このことは末尾の表现から判断することができる。他の详细分类に分类しづらいというのも1つの特徴であり、视点人物がまるで対象人物に手纸を书いているような表现になっていることが挙げられる。
                  (ⅲ)决意
                   次に、视点人物(自分自身)が恋爱を通して、决意をしている描写が中心となっている歌词を取り上げ、分析していく。以下にその例を示す。
                  (图缺)
                  この歌词は、『So Together』という作品のものである。全部で6连の构成になっており、下线(A)、(C)はメロディー、太字(B)、(D)はサビである。まず、下线(A)についてであるが、この连では状况设定や作品の背景を読み取ることができる。「ウェディングベル」という言叶や「永远の爱」などの言叶から、结婚式の様子を描写していることが分かる。视点人物(自分自身)が対象人物とこれからの未来を共に歩んでいくことを决意していることが、「永远の爱を誓い 痛みまで分かちあう」という表现などから分かる。过去と现在を结び付けるような表现もみられる。
                   次に、太字(B)をみていく。太字(B)は、あなたとの时间を幸せに感じている视点人物(自分自身)の心理が表现されている。これから、2人は一绪になっていくんだという意思が现れており、过去にあったことなども噛みしめながら、未来を梦见ていることが分かるようになっている。
                   次に、下线(C)をみていく。下线(C)は结婚する前の2人の様子を振り返りながら、やはり现在に繋げるような表现となっていることが分かる。また、「これからはつらい时も 二人で乗り越えてゆくの」という个所から、2人で一绪になり过ごしていくこれからを决意していることが分かる。
                   次に、太字(D)であるが、この部分は「穏やかに暮らしてゆきたい」という部分を除いて、太字(B)と内容は同じである。やはり、これからの2人の未来を见据えて共に歩んでいくんだという决意を表现していると考えられる。この太字(B)、(D)が缲り返されていることから、决意している様子を强く印象付けることができるのではないかと判断することができる。
                   恋爱型の中でも、「决意」に详细分类されるものの特徴として、恋爱を通して「こうしていきたい」や「こうしていかなければならない」などの心理の描写がなされていることが挙げられる。この作品では「结婚」を背景においているが、このように何かを中心において、视点人物(自分自身)や対象人物を取り巻く状况が変わる様子を描くことで、决意の様子が际立つのではないかと考えられる。
                   


                  IP属地:湖北12楼2015-01-29 22:14
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                    (ⅳ)片思い
                     次に、片思いの描写を中心となっている歌词を取り上げ、分析していく。以下にその例を示す。
                    (图缺)
                    この歌词は、『息もできない』という作品のものである。全部で7连の构成になっており、下线(B)、(D)はメロディー、太字(A)、(C)、(E)、(F)、(G)はサビである。まず、太字(A)についてであるが、他のサビ部分とは异なり、2行の构成になっている。「息もできない」というのは、视点人物(自分自身)がどれほど対象人物に梦中であるかを示す気持ちの强さを表现したものである。视点人物(自分自身)の心理を中心にして、「君」への思いを缀っている。また、「离れてても」という表现から、视点人物(自分自身)と「君」との间に距离があることを感じることができる。近くにいない「君」の存在を感じてしまうほど、「君」に梦中である様子が分かり、同じ意味を持つ表现を重ねることによって强く印象付けることができる。
                     次に、下线(B)をみていく。下线(B)の冒头2行、「耳をすませば~聴いている音」の表现から、太字(A)で感じられた距离が一気に缩まってきたことが分かる。「鼓动」は耳を胸に当てないと闻こえないものであり、それが闻こえるということは、それほど近い距离に2人がいるということになるのではないだろうか。また、「世界中で私だけ」という表现から、特别な関系が出来つつあることを読み取ることもできる。后半の3行は、「君」と过ごす时间と対比的にそれらの时间が并べられている。「君」と过ごす时间以外の时间も大切であるが、やはり「君」と过ごす时间は特别なものであるという「私」の心理が分かる。
                     次に、太字(C)をみていく。太字(C)では、「好き」という言叶を用いて、はっきりと「君」に「私」がその思いを伝えている。これから「君」と恋をしていきたいと思っている反面、过去の失恋の记忆がもう一歩を踏み出せないでいる理由であるとして挙げられている。「息もできない」ほど「君」のことが好きであるにも関わらず、歩みを进めることができないもどかしさが描写されている个所である。また、「夕阳に横颜のシルエット」という表现からは、时间の移り変わりとともに、「私」が「君」の隣で夕阳に浮かび上がる「君」の横颜のシルエットを盗み见て、改めて「君」のことを好きだと実感していることが分かる。ここでの「限界」というのは、恋までの一歩が踏み出せず谛めてしまいそうになる自分自身の心理のことではないか。その「限界」を「私」が远いものとして设定して、恋の成就を祈っている。「この恋を叶えてください」という表现から、はっきりと片思いの関系性がみえてくる部分になっている。
                     次に、下线(D)をみていく。下线(D)は、「私」が「君」を好きになったきっかけについての记述から始まる。「私」が过去の恋のことをきっかけとして、「君」の笑颜に魅かれていったことが分かる。次に、「疑う心」と「迷う気持ち」についてであるが、これは太字(C)にあった「过去の失恋」のことと结びつくようになっている。「过去の失恋」が「君」への気持ちに迷いを生じさせ、どこかで疑心暗鬼にさせてしまっていると判断することができるのではないだろうか。その不安な気持ちを払拭するために、最后の1行で「君」の気持ちを确かめているのである。
                     次に、太字(E)をみていく。太字(E)は、他のサビ部分とは异なり、直接的に「君」への思いは表现されていない。しかし、2人の共通点を挙げたり、あなたにエールを送ったりするなどして、2人の関系が强いものであることを表现しようとしていることが分かる。そして、「谁よりも 今近くに 君を感じているから」という表现から、思いの强さが伝わり、そのために想像力の中で世界が広がっていってしまうことに繋がっていくのだと考えられる。
                     次に、太字(F)をみていく。太字(F)では、冒头でまた「君」への思いの强さを表现している。「月の照らす ジェットコースター」とは、「君」への思いを持ち、进もうとしている「私」を表现したものであり、それがつき抜けていく「暗」とは不安な気持ちや疑いなどのことであると考えた。「今度こそは本物だって 神様 信じていいですか」の表现で、「君」との恋を前に进めていく意思を読みとることができるようになっている。
                    また、太字(G)は1行の构成になっており、特殊なサビ部分となっている。「コートを脱ぐ」という表现から寒い季节を连想することができ、その寒い季节が「新しい季节」へと动き出すので暖かい季节への変化を连想することができる。この太字(G)は、単なる季节の変化と捉えることができなくもないが、「过去の失恋に悩んでいた时间」を「コートを脱ぐ」までの季节、「君と出逢い、新しい恋をしようと一歩を踏み出した今」を「动き出した新しい季节」と表现したとも考えることができる。 恋爱型の中でも、「片思い」に详细分类されるものの特徴として、対象人物への热い思いが描写されていることが挙げられる。また、片思いを邪魔するようなもの(この作品では过去の失恋。その他には、対象人物の気持ちの希薄化などが挙げられる。)が歌词の中に存在しており、思いが成就するかどうかがはっきりとしない心理が描かれていることが挙げられる。
                     (ⅴ)両思い
                     次に、両思いの描写が中心となっている歌词を取り上げ、分析していく。以下に、その例を示す。
                    (图缺)
                     この歌词は、『Oh my love』という作品のものである。全部で6连の构成になっており、下线(A)、(C)はメロディー、太字(B)、(D)、(D´)はサビとなっている。まず、下线(A)についてであるが、下线(A)は2人の関系性ができあがるまでの思い出について书かれている个所である。また、「自転车」や「夕暮れ」といった表现から2人は学生で、放课后に一绪に帰っていたという状况设定を推察することもできるようになっている。下线(A)で大切になってくるのは、「あなたは 私の名前呼び舍てにして」という描写である。この描写をわざわざ用いるということは、今までは「あなた」が「私」のことを呼び舍てでは読んでいなかったと読み取ることができる。この描写をきっかけに2人の関系性に変化があったことが分かるのである。お互いに好意を持っていたのにも関わらず、もう一歩踏み出せなかったその一歩を踏み出した描写となっている。
                     次に、太字(B)をみていく。太字(B)は、下线(A)において変わった2人の関系を受けて、视点人物の心理がスピードをつけて変化していっている様子を表现している。「あなた」への好意がより确実なものになり、「好き」という感情を自覚するようになっている。「友达のエリア」というのは、下线(A)において2人の関系が変わるまでの2人の関系であり、お互いの思いが通じ合ったことを読み取ることができる。「周末まで待ちきれない」という表现は、「あなた」と会える约束をしている予定であり、すぐに会いたいという「私」の心理を表现している。
                     次に、下线(C)をみていく。「うつ向く横颜」という表现から、「私」は「あなた」の隣にいることが分かる。「あなた」がうつ向いていた理由は明记されていないものの、后のキスへの伏线となっていると考えられる。まず、キスをしたのが「あなた」からである场合、うつ向いていたのはキスのタイミングをうかがっていたのではないかという推测をすることができる。また、キスをしたのが「私」からである场合、うつ向いて何も话してくれない「あなた」を心配して思わずキスをしたという推测をたてることができる。突然のキスではなく、伏线を上手く张り巡らせてあると考えられる。「キス」は2人にとって特别なものとなり、梦うつつのような时间を创造したことが「初めてのキスの日~梦が覚めた」という表现から分かる。
                     次に、太字(D)をみていく。太字(D)では、また「あなた」への思いが动き出していることを表现している。「无意识に髪をのばし始めたの」という表现からは、「あなた」の好みを知り、少しでも近づこうとしている心理を読み取ることができる。また、「私」の存在を确かめていることから、思いが繋がっているかどうかが少し不安になっているのではないかと推察できる。
                     恋爱型の中でも、「両思い」に详细分类されるものの特徴として、対象人物との恋爱が上手くいっていることが分かるような描写がなされていることが挙げられる。気持ちの変化に気付くと、思いは溢れるように出てくることが表现されていることが分かる。


                    IP属地:湖北13楼2015-01-29 22:16
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                      (ⅵ)不安
                       次に、恋爱を通して何かに不安を覚えているような様子の描写が中心となっている歌词を取り上げ、分析していく。以下に、その例を示す。
                      (图缺)
                      この歌词は、『あなたを好きだけど』という作品のものである。全部で5连の构成になっており、下线(A)、(C)はメロディー、太字(B)、(D)はサビとなっている。まず、下线(A)についてであるが、この部分で视点人物(自分自身)が现在、恋爱をしている対象人物についての记述がなされている。対象人物(この作品では「あなた」)が视点人物(この作品では「私」)より年下であることが重要になってくる。「私」は「あなた」より年上の女性であるが故に、年上である余裕を持ち続けている必要があり、素直な気持ちを表に出すことができず、「ものわかりのイイ女」を演じている。この2点が「私」に2人の関系について、不安を生じさせるものになっているのである。
                       次に、太字(B)をみていく。太字(B)では下线(A)を受けて、2人の间にあり、「私」の気持ちに不安を生じさせているものについてはっきりと记述をしている。绝対的に埋めることができない年の差、そして素直な気持ちを出せず、いつも年上の余裕を演じているので、本当は甘えたくても甘えることができない悲しさなどを描写している。あなたのことは好きなのに、なかなか上手くいかない様子を不安に思っていることが分かるようになっている。
                       次に、下线(C)をみていく。この部分では、変化している「あなた」と変化していない「私」の様子を対比的に描写していることが分かる。「あなた」の「着変える」や「私」の「変化しない髪型」がそれらを比ゆ的に表现したものであると考えられる。また、「同じ気持ちでいる」という表现から、「私」が「あなた」のことを好きでいるのは间违いないものの、その気持ちをずっと持ち続けることができるかどうかに自信を持てなくなっている様子も読み取ることができる。このことは、「もしも年上の男性(ひと)が现れたら 揺れてしまいそう やさしさに」という表现から更にしっかりと判断することができる。
                       次に、太字(D)をみていく。この部分では、「あなた」の若さから生じている真っ直ぐさを「つらい」という言叶を用いて表现しており、「私」の心理の様子を素直に表现していることが分かる。しかし、いざそれを言叶にすれば全てが消えてしまうことに不安を抱いていることが「コワイ」という言叶から判断でき、このままの関系を保っていこうとしている様子が、「言叶にすればフェイドアウト」という表现から分かる。
                       恋爱型の中でも、「不安」に详细分类されるものの特徴として、何か2人の间に不安を生じさせるもの(この作品では年の差)が必ず描写されていることが挙げられる。例えば、なかなか会えない様子であったり、一绪に居すぎることで新鲜さを失っていたりすることなどが挙げられる。また、この详细分类が「失恋」と分けられる理由として、视点人物(自分自身)と対象人物の関系がまだ终わっていないことが考えられる。どんなに冷え切った関系性へ変化していることを不安に感じていたとしても、自らその関系にピリオドを打ったり、直接的に终わってしまったりするような表现を用いていないことが特徴として挙げられると考えられる。
                       (ⅶ)失恋
                       次に、失恋の描写が中心となっている歌词を取り上げ、分析していく。以下に、その例を示す。
                      (图缺)
                      この歌词は、『二人の夏』という作品のものである。全部で4连の构成になっており、下线(A)、(C)はメロディー、太字(B)、(D)はサビである。まず、下线(A)であるが、この部分は后の全ての部分に繋がっていく个所である。视点人物(自分自身)が対象人物(この作品では「あなた」)のことを见かけることで、この作品世界が広がっていく。过去に付き合っていた「あなた」が结婚することや昔には见たことがなかったスーツ姿の描写をすることで、时间の流れを表现し、2人の间に距离が开いていることを印象付けている。また、この时间の流れから生じた2人の距离が理由で、视点人物(自分自身)が「あなた」に声をかけることができなかったことも分かる。
                       次に、太字(B)をみていく。下线(A)で「あなた」を见かけたことで一気に「あなた」との过去の思い出が広がっていく。忘れかけていたはずの思い出を思い出してしまう。しかし、いつまでも「あなた」との思い出を引きずっていてはいけないという思いから、「あなた」にサヨナラを言い、けじめをつけようとしつつも「あなた」にエールを送っている。
                       次に、下线(C)をみていく。「あなた」と别离れた过去の思い出を描写している。また、その过去の思い出の様子と対比的に、现在の2人の様子とその心理を表现している。そして、失恋した过去のことを忘れようとしている様子を読み取ることができる。
                       次に、太字(D)をみていく。下线(C)を受けて、「あなた」との过去との向き合い方についてを表现している。忘れようとしていた、失恋をした「あなた」との思い出を忘れるのではなく、素敌なまましまっておこうと决意をしている。そして、最后に心の中で「あなた」にエールを送っている。
                       恋爱型の中でも、「失恋」に详细分类されるものの特徴として、対象人物との过去を振り返りつつ、现在の様子を描写すると共に、対象人物の现在の恋爱を描写していることが挙げられる。対象人物との距离が缩まることはないことを表现し、その距离を视点人物(自分自身)がどのように捉えていこうとするかの心理を描写していると考えられる。


                      IP属地:湖北14楼2015-01-29 22:16
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                        第四项  歌词における特别な読みについて
                        以下に示すZARDの歌词をみてほしい。
                         ①微笑みも 忘れたくなるこの都会で つまずくことさえも 明日への希望へと変えてゆこう      『Just believe in love』より
                        ②今だけは 世界でたった二人だけ 信じる気持ちとり戻して 都会を行く风のように          『时间の翼』より
                        この2つの歌词の中には、「都会」という熟语が共通して用いられている。「都会」という熟语は本来であれば、「とかい」という読みをするが、上に示した①の歌词では「とかい」という読みでは使われていない。①の「都会」は「まち」という読みになっている。それに対し、②では本来の「都会」の読み通り、「とかい」という読みになっている。ZARDの歌词の中でこのように、本来の読みとは违う読みをしている熟语が几つか见られることが特徴として挙げられると考えた。
                         それでは何故、読みを同じ熟语で统一していないのだろうか。例えば、①と②の例ならば、「まち」と読ませたいのならば、「都会」という熟语を使わなくても、「町」や「街」といった、本来「まち」という読みをするものを使ってもよいのではないかと考えてしまう。しかし、あえてそれをしないで本来の読みとは违う読みをしていることには何かしらの意味があるのではないだろうか。この节において、ZARDの歌词の中でこのように特别な読みをしている个所を取り上げ、分析をしていく。
                        (ⅰ)「とき」という読み方について
                         まず特别な読みをしている総数が一番多い「とき」という読みについてみていく。

                        上记に示したように、「とき」という読みをしている熟语は9种类あり、その総数は43である。上记の表の「本来の読み方の総数」とは、例えば「时间」であれば「じかん」という読みをしているものの総数を表したものである。それぞれの熟语を使用している个所を取り上げ、分析していくこととする。
                        (a)「时间」という熟语について
                         まず、「とき」という読みの中で最も使用総数が多い「时间」という熟语を取り上げ、分析をしていく。以下に、「とき」と読んでいる个所と「じかん」と読んでいる个所を示す。なお、缲り返し同じ表现として用いられている场合は1つとして考え、その総数を括弧内に示すこととする。まず、「とき」と読むものからみていく。

                        上记に示したものは、「とき」と読む「时间」の中でも、「时间」が现在过ぎ去っており、それを感じていることが分かるもの、または「时间」を过ぎ去るものとして捉えているものであり、「経过」として分类をした。この分类の根拠としては、上记の表において、「过ぎる」や「経つ」といった动词と一绪に用いられていることが挙げられる。「时间(とき)を越え」、「二人时间(とき)を刻んだ」、「时间(とき)を忘れて だんだん话に梦中になって」、「どんなに时间(とき)を缚ってもほどける」、「ゆるやかな时间(とき)を感じたい」という4つの歌词には、直接的に时间の経过を感じさせる、先のような「过ぎる」や「経つ」などの动词は用いられていない。これらは、「时间」というものが过ぎ去るものであることを示しているものであると考えられる。「二人时间(とき)を刻んだ」という歌词からは、视点人物(自分自身)と対象人物によって过ごしてきた时间の流れを感じることができる。また、「ゆるやかな时间(とき)を感じたい」という歌词からは、现在流れている时间を视点人物(自分自身)がどのように感じようとしているのかが分かり、现在から未来へとつながっていく时间の流れも感じることができるようになっている。「时间(とき)を忘れて だんだん话に梦中になって」という歌词は、话が楽しいので自然と时间の流れを忘れてしまった様子であり、「どんなに时间(とき)を缚ってもほどける」という歌词は、时间が过ぎ去っていくことを知っていながら、その事実に抗おうとする视点人物(自分自身)の様子を垣间见ることができる。また、后半3つの歌词は『时间(とき)の翼』という作品のものであり、同じような内容でありつつも、少しずつ情景が変化していることが分かる。ここでの「时间」は単体として考えるのではなく、「时间(とき)の翼」という1つの言叶として扱うのが适当だと考える。これらの描写はやはり时间の流れを表现したものであるが、直接的なものではなく、「翼」という言叶を用いることで、比喩的な要素を持たせていると考えることができる。
                        时间の経过を肯定的に捉えるのか、それとも否定的に捉えるのかについては作品の内容にもよるが、どの歌词についても时间の流れと向き合う视点人物(自分自身)の心理が合わせて描かれていることが分かる。

                        次に、「とき」と読む「时间」の中でも、过ぎ去った「时间」を振り返っているものを「回顾」と分类してみていく。この分类の根拠としては、上记の表において太字で示した个所のような、过去であることが分かるような言叶と共に用いられていることが挙げられる。「何もかも时间(とき)のすれ违いと感じた」という歌词には、直接的に过去のことであるような内容は含まれていないものの、视点人物(自分自身)と対象人物との间に生まれてしまったすれ违いを、过ぎ去った「时间」を理由にしていることが分かるようになっている。

                         次に、「とき」と読む「时间」の中でも、何かしらの様子を形容しようとしているものを、「様子の形容」と分类してみていく。この分类にあてはまったものは1つであり、その根拠としては、先述してきたような「时间」を过ぎ去るものとして捉えている訳ではないと考えられることが挙げられる。「一人でいる时间(とき)」というのは、过ぎ去るものとして形容されているわけでもなく、また过ぎ去ったものとして形容されているわけでもない。视点人物(自分自身)が「一人でいる」瞬间を切り取って、示そうとしているのである。では、何故「一人でいる时」という表记ではないのだろうか。ここでは、「时间」という熟语を用いることで、切り取った「一人でいる」瞬间にある程度の流れを持たせることができるのではないかと考えられる。「一人でいる时」という表记では、动きを感じさせることは难しいのではないだろうか。
                          次に、「じかん」という本来の読みをするものをみていく。

                        上记に示したものは、「とき」と読むものの分类でもあった、「时间」が过ぎ去っており、それを感じていることが分かるもの、または「时间」を过ぎ去るものとしてとらえているものであり、「経过」として分类してみていく。やはり、「过ぎる」や「かかる」、「动き出す」という动词と共に用いられていることが特徴として挙げられる。「时间を止めて」という歌词からは、「时间」というものは过ぎ去っていくものであることを知っていながら、今现在流れている「时间」に抗おうとする视点人物(自分自身)の心理を読み取ることができる。また、「时间が頬を抚でる」や「时间のいたずら」という歌词は、先のような动词と一绪に用いられておらず、直接的に「时间」の経过について感じさせるものではない。これら2つの歌词には比喩的な歌词を用いており、间接的に「时间」の経过を感じさせるものとなっていると考えられる。また、「时间が頬を抚でる」という歌词については、「拟人法」が用いられていると考えられる。様々な出逢いと别れを缲り返してきた时间の流れをたとえていると考えた。
                        先述した「とき」と読む「経过」の分类と比较してみると、「経过」を感じさせる动词と并用することで、「时间」というものは过ぎ去っていくものであることを感じさせている点、またその事実を知っていながらも「时间」の流れに抗おうとする视点人物(自分自身)の心理が存在している点や、比喩的な歌词が存在している点など、いくつかの共通点が挙げられる。


                        IP属地:湖北15楼2015-01-29 22:35
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                           次に、「じかん」と読むものの中で、过ぎ去った「时间」を振り返っているものを「回顾」と分类してみていく。この分类にあてはまったものは2种类である。「楽しかった时间が苏るから」という歌词をまずみていく。「楽しい」という形容词を「时间」の前に置くことによってどのような「时间」であったかを形容することができると共に、过去の様子であることが分かるようになっている。また、「苏る」という动词からは、过去の「时间」のことであることをはっきりと読み取ることができ、视点人物(自分自身)が过ぎ去ったことを振り返っている様子を想像することができる。また、「时间のいたずら」という歌词は、やや比喩的な歌词であり、2人のすれ违いの理由を过ぎ去った「时间」のせいにしていることが分かるものになっている。
                           先述した「とき」と読む「回顾」の分类と比较してみると、「时间」と読む「回顾」の种类は少ないものの、基本的な构成は同じであることが分かる。形容词や动词、あるいは比喩的な歌词を用いて过ぎ去った「时间」を振り返っている様子を表している。

                           次に、「じかん」と読むものの中で、何かしらの様子を形容しようとしているものを、「様子の形容」と分类してみていく。上记の歌词も、やはり「时间」というものを过ぎ去るものとして捉えているわけでもなく、过ぎ去ったものとして捉えているわけでもない。どのような「时间」なのかを形容しているのである。この分类にあてはまるものは全て「时间」の前にどのような「时间」かが描写されており、その瞬间を切り取っているのだと考えられる。
                           先述した「とき」と読む「様子の形容」の分类と同じ构成となっていることが分かる。

                           次に、「じかん」と読むものの中で、言叶の一部として用いられているものを「言叶の一部」と分类してみていく。この分类は、「じかん」と読むからこそ存在してくるものである。表において太字で示した个所に「时间」が用いられているが、これらは「何时间」や「时间旅行」といったように、1つの言叶として成立をしている。この読みを「とき」とは変化させることができないものである。「じかん」と読むことが决まっているのである。

                          次に、「じかん」と読むものの中で、时间的な余裕を表しているものを「时间的な余裕」と分类してみていく。この分类においては、视点人物(自分自身)の心理が大きく関わってくる。たとえば、「欲しい」や「长い」という言叶からは、それを感じている视点人物(自分自身)の存在を考えないわけにはいかない。同様に、「心の准备」ができる「时间」の余裕や「时间」の有无もやはり视点人物(自分自身)が考えることである。
                           この読みを「とき」と読まないのは、ある程度の幅を持たせたいためではないだろうか。一瞬を切り取るのではなく、流れている様子を描きたいためであると考えた。

                           次に、「じかん」と読むものの中で、「时间」の指定を行っているものを「时间の指定」と分类してみていく。この分类では、「いつも」や「この」、「早い」など「时间」を指定する语句と共に「时间」を用いていることが特徴として挙げられる。どのような「时间」なのかではなく、いつ顷の「时间」のことなのかを示している个所だといえる。

                          次に、「じかん」と読むものの中で、「一般的な概念としての时间」と分类したものをみていく。この2つの表现は、『MIND GAMES』という作品のものである。この分类において、「时间」は「空间」という言叶と対になるような形で用いられており、现在私たちが生きている生活の様子を一般的に示しているものであると考え、この分类とした。


                          IP属地:湖北16楼2015-01-29 22:45
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                            (b)「季节」という熟语について
                             次に、「季节」という熟语を取り上げ、分析をしていく。以下に、「とき」と読んでいる个所と、「きせつ」と読んでいる个所を示す。なお、缲り返し同じ表现として用いられている场合は1つとして考え、その総数を括弧内に示すこととする。まず、「とき」と読むものからみていく。

                            上记に示したものは、「とき」と読むものの中で、周りの様子などが変化している様子を描いているものであり、「変化」として分类をしてみていく。「季节」という熟语を「とき」と読んでいる4つのうち、3つがこの分类にあてはまる。「季节」という熟语と共に、「変える」という动词を用いることがこの分类にあてはまる根拠であるといえる。また、「変えてしまう」という言叶を用いることで、「すべて」を変えてしまう主体が「季节」であることが分かるようになっている。

                            次に、「とき」と読むものの中で、どのような「季节」なのかを形容しているものを「様子の形容」と分类してみていく。この分类の特徴としては、「季节」の前に置かれている「辉く」という言叶が、何かしらの「季节」を指定しているのではなく、视点人物(自分自身)にとって、その「季节」がどのような「季节」だったのかを形容しようとしていることである。また、「中で」という言叶からは、「季节」というものが动いていることが分かると共に、视点人物(自分自身)が现在その季节に存在していることも分かるようになっている。
                             次に、「きせつ」という本来の読みをするものをみていく。

                            上记に示したものは、「きせつ」と読むものの中で、时间の経过や周りの様子の変化を示しているものであり、「経过、変化」と分类してみていく。この分类の特徴として、上记の表において太字で示した个所にあるように、「过ぎる」、「见送る」、「さらう」、「変わる」、「动き出す」などの动词や、「うつろい」や「移り気」などの言叶と共に「季节」という言叶を用いていることが挙げられる。これらの言叶は、「季节」というもの自体の経过や変化を表していると共に、「季节」の経过や変化によって、周りがどのように変化しているのかも表しているといえる。たとえば、「季节のうつろいと一绪に 気持ちも暧昧に変化してゆくよ」という歌词から、「季节」というものの「うつろい」の中で、视点人物(自分自身)の気持ちも変化していっているということが分かるようになっている。また反対に、「季节が过ぎても 心の中は あの时のままで」という歌词からは、「季节」というものが过ぎていることは分かるものの、それとは対比的に视点人物(自分自身)の気持ちは変化していないということが描かれており、「季节」の変化を描くことでその様子を効果的に描いているといえる。また、「つれない恋の 行方は 季节まかせ」という歌词には、先に挙げたような言叶は共に描かれていないものの、どうなるか分からない恋を「季节」の流れにまかせてみようとする様子をうかがい知ることができるので、この分类とした。
                             先述した「とき」と読む「変化」の分类と比较してみると、その総数に差はあるものの、「きせつ」と読むものは「季节」が何かを変化させる主体ではないと感じる歌词がみられることに気付く。「とき」と読むものは、「季节」は「すべてを変えてしまう」ものであったが、「きせつ」と読むものは、「季节」は自然の摂理に従って変化しているものである。「季节」が当たり前のように変化していく中で、视点人物(自分自身)がどのようなことを考え、どのような変化をしたのか、あるいは変化しなかったのかを描写しているといえる。

                             次に、「きせつ」と読むものの中で、どのような季节なのかを形容しているものを「様子の形容」と分类してみていく。先述した「とき」と読むものの分类にあった「様子の形容」と同様に、具体的な「季节」を指定するのではなく、视点人物(自分自身)の心理にそって「季节」がどのようなものであるかを形容していることが分かる。また、视点人物(自分自身)が存在している现在の「季节」ばかりを形容しているわけではないことが推测できる。「明日が见えない季节」という歌词は、视点人物(自分自身)の心理を表していることから、现在の様子を示していると判断できる。「パステルカラーの季节に恋した」は、视点人物(自分自身)が「あなた」に恋した过去の「季节」のことである。また、「いくつ淋しい季节が来ても」、「二度目の季节」とは、これから来る「季节」のことを指していると考えられる。

                             次に、「きせつ」と読むものの中で、昔を振り返っている様子を描いているものを、「回顾」と分类してみていく。この分类にあてはまるものの特徴として、「あの」や「远い」、「駆け抜けた」など、昔の「季节」を视点人物(自分自身)が振り返っていると感じさせる言叶とともに表されていることが挙げられる。「华やいだ季节は そう远い记忆」という歌词において、「远い」という形容词は「记忆」という言叶にかかっているが、「华やいだ季节」は「记忆」の中に存在しているので、この分类が相当であると考える。また、「あの顷のように 季节も街も 流れてく」という歌词においては、「流れてく」という言叶があるので、「経过、変化」の分类と暧昧な点もあるが、ここでは「季节」が「流れてく」様子を、「あの顷」と同じだと感じている视点人物(自分自身)の心理を読み取ることができるので、この分类にあてはまるものとした。

                            次に、「きせつ」と読むものの中でも、四季の様子を描写しているものを「四季としての季节」と分类してみていく。この分类の特徴として、「季节」の指定がなされていることが挙げられる。具体的に「夏」や「冬」という言叶は用いている表现はもちろんのこと、「白い吐息の 季节」や「银色の季节」という表现は、冬の描写を连想させていることが分かる。また、「季节外れの雪」という表现は具体的にどの季节と指定はしにくいものの、雪が降ることが「季节外れ」と感じられることから、冬以外の「季节」のことを指していることが分かる。

                             次に、「一般的な概念としての季节」と分类したものをみていく。この分类においては、「恋」というものをたとえていることが分かり、それが「季节のボーダーライン」という言叶である。この歌词において「季节」という言叶は、具体的にどの「季节」のことなのかは指定されていない。つまり、现在私たちが感じている「季节」のことを表しているのではないかと考え、この分类にあてはめることとした。


                            IP属地:湖北17楼2015-01-29 22:50
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                              (c)「月日」という熟语について
                              次に、「月日」という熟语を取り上げ、分析をしていく。以下に、「とき」と読んでいる个所と、「つきひ」と読んでいる个所を示す。まず、「とき」と読むものからみていく。

                              「月日」を「とき」と読むものの分类は、过ぎ去った「月日」を振り返っている様子を示している「回顾」の分类に全てあてはめるものとした。どちらの歌词も、「月日(とき)」という言叶の前に2つ、后ろに1つ、その根拠となる言叶が配置されている。まず、1つ目の歌词であるが、「あれから」という言叶は振り返る起点となる时期を示している。また、「どれくらい」という言叶は、过ぎ去った「月日(とき)」の长さを心理的に振り返っている様子を読み取ることができる。「月日(とき)」の后ろに置かれている「过(た)った」という动词は、「月日(とき)」の経过を直接的に表现しているものであると考えられる。次に、2つ目の歌词であるが、「若すぎた日々」という言叶と「思い出」という言叶は结びつくものであり、振り返る起点となる时期と过ぎ去った「月日(とき)」の长さを心理的に振り返っているものである。また、「月日(とき)」という言叶の后ろに置かれている「重さ」という言叶は、「月日(とき)」の経过を视点人物(自分自身)がどのように感じているのかを表していると考えられる。
                              次に、「つきひ」と読むものをみていく。

                              「月日」を本来の読みである「つきひ」と読むものの分类は、「月日」の経过によってもたらされた変化や心理の様子を表している「経过、変化」の分类に全てあてはまるものとした。上记の表において、1つ目と2つ目の歌词は类似しているといえる。「二年」という「月日」が1つのポイントであり、「二年」という「月日」の长さが指定されていることが类似点として挙げられる。共に「二年」前までは视点人物(自分自身)に大切な人がいたことが推测できる。また、「二年」という「月日」の経过をどのように视点人物(自分自身)が感じているのかを、「月日」という言叶の后ろで示している。1つ目の表现では、「月日」の経过によって私は大人になり、対象人物とうまく付き合うことができない人间になってしまったことが分かる。2つ目の表现においては、「二年」という「月日」が长いようで短かったという视点人物(自分自身)の心理描写がなされている。また、3つ目の表现であるが、「めぐる」という动词を用いて、「月日」の経过を直接的に表しているものと考えられる。その「月日」の経过の中にいる「ふたり」の様子を合わせて示している。
                              (d)「国境」という熟语について
                               次に、「国境」という熟语を取り上げ、分析をしていく。なお、「国境」という熟语については「とき」と読むものしか存在しておらず、同じ作品内で用いられているものである。以下にその个所を示す。括弧内の数字は、同じ表现が缲り返された総数である。

                              この歌词は、『探しに行こうよ』という作品のものである。この作品内において、対象人物である「君」はすでにこの世におらず、その面影を视点人物(自分自身)が心のどこかで探している様子を描いている内容になっている。この表现において、「国境」という熟语を「とき」と読ませるのは非常に考えにくいものであり、特殊であるといえる。先述してきたような、単纯に时间の流れを表わしたり、时间の流れに伴う周りの変化の様子を表わしたりしているものではない。そもそも、「国境を越える」ということはどういうことであろうか。私たちが「国境を越える」と、そこには时间の変化や场所の変化などが生じることとなる。先述したように、この作品内では対象人物である「君」の死が描かれている。视点人物(自分自身)がいる世界と、「君」がいる世界は根本的に违うものとなってしまっている。そのことを踏まえると、この「国境(とき)を越えて」という歌词は、时间も空间も全てを越えて、「君」という存在を探しに行こうとしている视点人物(自分自身)の心理を表しているものであるといえるのではないか。「国境」という熟语を用いることで、一度にその様子を表すことができる。直接的な描写はなされていないものの、歌词の内容と照らし合わせながら読むことで、以上のような分析をするに至った。
                              (e)「运命」という熟语について
                               次に、「运命」という熟语を取り上げ、分析をしていく。以下に、「とき」と読んでいる个所と、「うんめい」と読んでいる个所を示す。なお、缲り返し同じ表现として用いられている场合は1つとして考え、その総数を括弧内に示すこととする。まず、「とき」と読むものからみていく

                              「运命」という熟语を、「とき」と読んでいるのは上记に示した1つだけである。この歌词の分类を「必然的なもの」としてみていく。视点人物(自分自身)と対象人物の间に、何かしらの変化があって微笑みを取り戻せなくなってしまったこと表しているが、その理由を谁かのせいにしているのではなく、「运命」というあらかじめ决まったもののせいにしている。また、「悪戯」という言叶から必然的だった「运命」が自分に味方をしてくれなかったという视点人物(自分自身)の心理も読み取ることができる。
                              次に、「うんめい」と読むものをみていく。

                              「运命」を「うんめい」と読むものの分类は、「必然的なもの」の分类に全てあてはめるものとした。この分类においては「运命」というものを、「すでに决まっている」あるいは「决まっていた」ものとして捉えていることを判断することができる。つまり、「运命」の持つ本来の意味として表していると考えることができるので、この分类にあてはめることとした。


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